サンタ・レーナ教会で挙式をされた
良匡様&美和様よりこのようなメールをいただきました。

 この度の私達二人の挙式は、2006年5月27日、ある人との出会いから始まりました。

すでに入籍だけを済ませ5年を経過していた私達は、念願の挙式を行う場所としてイタリアへの強い思いを馳せていました。日本国内で式を挙げるのも大変だろうなぁと思っていた私達にとって海外での挙式はさらに未知のもの。多くの不安を抱きながら、色々な雑誌やパンフレットを取り寄せ、どこへ相談するのが良いのかを検討していました。しかし、入籍から5年を経ての挙式。のんびりとした性格の二人の為、これまでも予定が延び延びになっていたところでしたが、相談をするということは頭の片隅にありながらも、いつの間にかまた時間だけが過ぎてしまっていました。

そして、2006年7月の挙式を心に強く決めながらも、季節は過ぎ去り、梅雨も近づく5月も下旬の頃となっていました。
 
その日は土曜日。
挙式で纏う衣装はある程度決まってきていたものの、こと挙式自体の話となると、ただ資料に向かいながら二人の希望を考えるだけで滞ってしまっていました。そのため、実際に挙式手配をされる会社の方へ直接会っていろんなことを聞く方が疑問も解決し早く決められると決断し、その日にでもアポイントをと考えました。そこで海外挙式経験が豊富という言葉に魅かれお昼過ぎに電話したのがリージェンシー・グループ。ただし、どこの会社もそうだと思うのですが、週末というと挙式を考えているお客様とのアポイントがいっぱいで大変忙しい一日。もちろん、リージェンシー・グループも例外ではありませんでした。

しかしながら、「予定として考えている挙式日までに少し時間が迫っているのですが。。。」との言葉の中に私達の差し迫った雰囲気を感じとってくださり、なんと営業時間外を使ってまでその日のアポイントに応じていただいたのが山田さん。そう、山田さんこそが私達二人の挙式の始まりとなる人物となりました(後になって分かったことですが、その日は私達の無理なアポイントを優先していただいたため、山田さんには以前からしていた奥様とのお約束を延ばしていただくことになってしまいましたね。その節はご迷惑をおかけしてすみませんでした)。
それまで、私達二人とは何の繋がりもなかった山田さんでしたが、青山のオフィスでお会いしてすぐに感じたそのバイタリティー溢れる人柄からこの人にお任せすれば私達の挙式もうまくいくだろうと確信させる出会いとなりました。

通常、海外挙式を考えるなら半年以上前から準備していくのが一般的な予定の立て方だと思うのですが、私達に残されていた時間はもう2ヶ月も切っており、今考えれば挙式と新婚旅行の手配がうまくいき、きちんと旅立つことができたのは全て山田さんのおかげでした。特に、挙式として一番大事なサンタ・レーナ教会やヴィラ・コーラでの宿泊、バカンスに入って予約の取りづらいアマルフィの情緒あるホテル、折しもダ・ヴィンチ・コードの影響で事前の鑑賞予約も難しいサンタ・マリア・デッレ・グラツェ教会の最後の晩餐のチケットを出発直前までご尽力いただき、手配いただいたのは奇跡に近かったと思います。あれもこれも全てはSig“サルヴァトーレ”山田のおかげ。私達にとって本当に山田さんは“サルヴァトーレ”の言葉が示すとおり“救世主”的な存在となりました。その後は、本当に、二人のわがままを取り入れて作っていただいた旅程に沿って私達は幸せを築いていくだけでした。

出発日当日、成田空港に到着した時から二人の気持ちは高ぶっていました。久しぶりの海外で、初めてのイタリア。アリタリア航空に搭乗した時から、美女と伊達男揃いのフライトアテンドのもてなしに、もうすっかり気持ちはイタリアを感じる思いでした。しかも機内での初めての食事では、誰よりも先に私達にハネムーンミールが届けられ、何か特別な気分にさせてくれる思いに。さらに、その料理は他に搭乗されている方のものよりもちょっとだけ豪華! 出発直前に少しだけお話は伺っていましたが、この瞬間も飛行機の手配をしていただいた山田さんに感謝の気持ちでした。
長時間にわたる移動でしたが、イタリアでしたいこと、見たいこと、食べたいものを考えたり話したりするだけで、そんな機内での13時間もあっという間に過ぎていきました。
 
到着したミラノの街は少し日が傾き、建物に徐々に射してくる夕日が街並みを綺麗に見せていました。お任せしていたミラノ中央駅近くのホテルは、さすがオシャレの街だけあってすごく洗練されているところでした。旅も後半になってきた時に実感したのですが、街によってホテルの特色ってありますね。滞在した街ごとにホテルの雰囲気が違い、各都市でその特色を味わうことができ、ここでも山田さんのホテル手配のセンスに脱帽でした。
旅程の5日目に挙式を予定していた私達にとって、翌日からはミラノの街を散策する余裕がありました。ドゥオモを中心とした街中をゆっくりと歩き、日本とはまた違った石畳の感触を確かめることができました。もちろん、建築物の歴史を感じ、最後の晩餐を目の前にした時の厳かな気持ちは言い表すことのできない感動でした。食事においても、ミラノ風カツレツやリゾットを堪能することができました。
ミラノを経ち、フィレンツェに移動して初めに行ったところ。それはやはり挙式を挙げることとなるサンタ・レーナ教会でした。古くからフィレンツェの街中に建ち、これからは私達二人にとっても特別な場所となる教会。そんな場所をいち早く訪れてみたかったのです。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅を出てドゥオモに続く一本道を歩いているとその教会はありました。普段は人通りの多い通り沿いにその教会は静かに佇んでおり、街に溶け込んだ印象です。年代を感じさせる木の扉をくぐり中に入ると、高い天井に白い石造りのアーチが開放感を与え、周りに配置されたたくさんの壁画や祭壇が荘厳さを醸し出していました。長椅子には付近に住んでいると思われる方がお祈りをしています。フィレンツェの街と一体になって歩んできた歴史の感じられるこのような教会でブレッシングしていただくということを考えると、既に感謝の気持ちでいっぱいでした。
 
    挙式当日は快晴で雲ひとつない青空。晴天に恵まれ、二人の区切りとなる船出にとって最高の一日となりました。
午後から現地アシスタントの仲本さんとヘアメイク担当のノッツァさんにホテルまで来ていただき、その日にふさわしい花嫁姿に仕上げてくださいました。その後はカメラマンのフィリッポさんが私達の幸せな瞬間を切り取って写真に収めてくれました。フォトツアーで行ったドゥオモやミケランジェロ広場では、何世紀も変わらないフィレンツェの街並みの中での現在の二人の姿を残すことができ、今見てもその瞬間の幸せをかみしめる思いに包まれます。
でも、やはり、このように歴史の感じられる街で、また、日本では味わえない重厚なサンタ・レーナ教会の中で過ごした挙式の時間は二人にとって忘れ得ぬ人生の一部分となりました。
 
 
 
その後は、ブレッシングの余韻に浸りながら、イタリアの各都市を巡りました。フィレンツェを始め、ピサ、ナポリ、カプリ、ローマと。その中でもとても印象に残り、一番のんびりとできた街は海岸線の美しいアマルフィでした。その街で宿泊したのは12世紀の修道院を利用したホテル。回廊には昔のままの装飾品が無造作に置いてあったり、中庭にはレモンの木が
 
あったりとホテルの中を散策するだけでも南イタリアの雰囲気を感じとることができます。また私達の部屋からは海岸線の素晴らしい景色を見下ろすことができ、風景はその時間帯によって様々な表情を見せてくれ、それは一枚の絵画でも見ているような、何時間見ていても飽きないほどの贅沢な光景でした。今でも目を瞑ると瞼の裏側にはその光景が浮かんでくるほどです。毎朝目を覚まして洗面所に行くと、大きな窓の外から鳥の鳴き声が聞こえたりして自然を満喫できるホテルでもありました。挙式も無事終わったという安堵感もあり、このゆったりとした贅沢な時間が心も体もリラックスさせてくれました。散歩がてらにぶらりと街中に出ると、海に沿ったこの街はバカンスの真っ最中。海に入って泳いだり、デッキチェアに寝そべって本を読んだり、うたた寝をしたり。南イタリアのバカンス気分を堪能することができました。ドゥオモ周辺のお土産を売っている商店街ではフィレンツェ特産のレモンをモチーフにしたかわいらしい商品もあって、ウィンドウショッピング感覚で楽しめます。
 
また、山田さんお勧めのレストランでは、味はもとより、日本では受けたことのないような気持ちのよいサービスや少し驚くような 洗練された演出も受けました。山側に少し足を延ばして広大なレモン畑を眺めたりと、小さな街ですが、アマルフィは人々も気さくで親切な人が多く、ローマやフィレンツェなどの都市とはまた違った素朴で温かい魅力を感じることができました。
 

カメラが挙式前日に突然写らなくなってしまったり、スリに遭いかけたり、列車が急に運休になったりとハプニングも多かった旅ですが、これら次々に起こったことも今となっては楽しい思い出です。それもこれも山田さんに立てていただいたなにもかも行き届いた旅程やお勧めのマル秘メモがあったからこそ最後まで楽しく旅を進めていくことができたのでしょうね。本当に感謝、感謝、感謝です。
ありがとうございました!

良匡&美和

P.S. イタリアは二人が挙式をあげた場所なので、必ずまた行くつもりです。その際はあらためてよろしくお願いします!思い出に残る挙式本当にありがとうございました。

 
 

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