マントン市庁舎で挙式された泰野様よりこの様なメールをいただきました。

 マントン挙式の際は、たいへんお世話になりました。数々のご尽力をいただきまして、本当にありがとうございました。遅ればせながら、マントンの挙式の紹介文を書かせていただきました。マントンで挙式をお考えの方のご参考になれば幸いです。

 初めてマントンを訪れたのは2000年3月、2年前のことです。
 パリオペラ座で上演されたジャン・コクトー原作のバレエ「若者と死」から、偶然にも続くコクトーに彩られた旅。パリからカーニバルの熱気さめやらぬニースを離れ、コクトーの軌跡を辿るようにヴィル・フランシュ、マントンへと。
 バレエ「若者と死」の若者の溌剌とした生と甘美な死への誘いがどこかパリを象徴するように、ヴィル・フランシュのサン・ピエールチャペルやマントン市庁舎の「結婚の間」には、南仏の村や街が色濃く描き出されています。小さな漁村ヴィル・フランシュにある幻想的で慎ましく美しいサン・ピエールチャペル、マントン地方の風習と神話を融合し、華やかで斬新に仕上げられたマントン市庁舎の「結婚の間」。
 ふたりで再びこの地を訪れることを願いながら、暫くその幻想的な世界に佇んでいたのが思い出されます。そして帰国後、サン・ピエールチャペルと結婚の間で挙式ができることを知りました。
 2002年4月、再来を願ったマントンは、2年前と変わらずに美しく穏やかな街並みで私たちを迎えてくれました。2年前と変わったことと言えば、彼と入籍を終え、両親ともに挙式のためにこの地を訪れていることです。家族と共に期待と喜びで歩くマントンの街は、一際心地よく感じました。
 結婚式の当日は家族とゆっくりとした朝食をとった後、彼とふたりで散歩がてら街をぶらぶらしていると、美容室が目に入ってきました。花嫁はこれからヘアーメイクをしてもらえますが、彼の方は少し伸びた髪もそのまま。時間もあるので、彼は美容院で髪を切ってもらうことにして、ひとりホテルに帰ってきました。
 部屋はホテルの最上階の角にあるジュニアスイートです。窓を開け放ち、眩しい陽光のもと街並みの向こうに見える海を眺めながら、ゆったりとした時間が流れていきます。聞こえるのは小鳥のさえずりと街の穏やかな生活の音。父が市場で買ってきてくれたスズランのあたりに漂ういい香りが、美しい風景とともに視覚的に記憶に刻まれています。

 11時にヘアーメイクのフランス人が部屋を訪れ、ヘアーセットとメイクをしてくれます。そして、14時に日本人のアシスタントの方が迎えに来てくれて、式へと臨みます。
 市庁舎の前の広場で車を降り、記念撮影をしていると、通りすがりの人々が笑顔を向けてくれたり、車からクラクションで祝福してくれます。
 結婚の間に入ると、壇上に花が飾られ、鮮やかな部屋に華を添えてくれています。式はマントン市長が結婚の誓約を執り行うとてもシンプルなものです。キリスト教に則さないこのセレモニーは、いずれの宗教にも属さない私たちにとって相応しく思いました。
 通りに面した通常は閉ざされている扉が開け放たれ、ライスシャワーの祝福を受けます。その後、参加者にシャンパンがふるまわれ、式は終わります。誰もが終始笑顔の絶えない、とても楽しい式でした。
 その後、フランス人ドライバーの好意により、私たちふたりと日本人のアシスタントの方とで、マントン名所に、記念撮影に行くことになりました。旧市街と港が見渡せる丘の上や、オリーブ園、旧市街、ヨットハーバー、イタリアとの国境など、ドライバーの気の向くまま、気の向くシチュエーションで、気の向くポーズで。「ウェディングドレスの花嫁はどこでもフリーパスだから」という理由のもとに、なかなか体験できないフォトツアーとなりました。

 マントンでの挙式は、シンプルな挙式を望む私たちには理想的なものだったと思います。魅惑的なコクトーの世界がさりげなく街と調和するマントンは、コートダジュールが誇るリゾート地でもあります。今度はゆっくりとバカンスで訪れたいと思っています。


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